
バンブーハウスは、東京タワーのWEB運営25周年を記念し、東京タワー(株式会社TOKYO TOWER)との特別対談『2000年からのWEB運営25年とセキュリティ進化』を実施いたしました。2000年のインターネット黎明期から現在に至るまで、東京のシンボルである東京タワーの情報発信をどのように支え、サイバーセキュリティの脅威から守ってきたのか。その知られざる裏側を語ります。
2000年から始まった東京タワーとバンブーハウスのパートナーシップは、今年で25年、四半世紀の節目を迎えました。当初より、東京タワー側は澤田が、バンブーハウス側は竹内が現場の中心として携わり、WEB黎明期の試行錯誤に始まり、テレビ番組の影響によるアクセス集中、東日本大震災でのインフラとしての覚醒、そして巧妙化するサイバー攻撃との闘いまで、時代の波を共に乗り越えてきました。こうした積み重ねの中で、WEBは単なる広報ツールから、企業アイデンティティそのものへと進化を遂げました。
こちらこそ、よろしくお願いします。
2000年当時のWEBは、まだ黎明期で「とりあえず作ってみる」実験場のような存在でした。通信環境も今ほど安定していませんし、スマートフォンもSNSもない。検索も今ほど洗練されていない時代で、WEBに求められる役割自体が、今とは別物でした。
当時は『観光施設である「東京タワー」を紹介する1つのツール』くらいのイメージでしたね。ただ、その中でも情報のリアルな更新という部分には、特に気を遣っていたように思います。
はい。東京タワーは観光施設である以前に、象徴的な存在です。だからWEBも初期から、ただの広報ではなく「正確で、止まらず、信用できる情報基盤」として育っていきました。
2000年代初頭|WEBは「あるだけで先進的」だった
バンブーハウスにとって、2000年頃、WEBはどのような位置付けだったのでしょうか?その中で東京タワーの公式HP制作・更新について、特に留意されていた部分を教えてください。
正直に言えば「あるだけで先進的」な時代です。更新は手作業、制作も運用もまだ“職人仕事”が中心でした。当時は表現面でも、静的なHTMLだけでなく、Shockwave Flashを採用した演出重視のサイト制作が“新しさ”の象徴で、動きのあるビジュアルや体験型の導線が注目されていました。
ただ、東京タワーの公式サイトは、単に派手な表現を目指すのではなく、アクセス規模と注目度が最初から大きいぶん、正確な情報を届け続けることが最優先でした。小さな更新ミスでも影響が出るため、早い段階から“公共性のあるメディア”として向き合う必要がありました。
終わったイベントを削除し、日々、新しいお知らせをアップする。東京タワーの基本情報だけを掲載していた従来のメディアにはなかった継続性が発生しましたね。
はい。表現が進化していく中でも、情報の正確性と鮮度、そして運用の継続性が常に問われていました。
2003年|ビジット・ジャパン・キャンペーン(台湾向け)と多言語の原体験
今では当たり前となっている多言語対応ですが、バンブーハウスにとって、2003年の経験が大きかったと伺いました。当時の翻訳体験と、現在の多言語サイト制作への影響等を教えて頂けますでしょうか。
バンブーハウスは2003年に、国土交通省が中心となって進めていたビジット・ジャパン・キャンペーンの台湾向けWEBサイトを担当しました。当時は「多言語=翻訳」だと思われがちでしたが、実際に運用してみると、“何を先に知りたいか”が国や地域によって違うのです。文化背景や旅行習慣、不安ポイントが異なるので、情報の優先順位や書き方を変えないと伝わらない。多言語は「言葉」ではなく「体験設計」であることを学びました。この経験は、その後の東京タワー多言語サイト(現在10言語)の設計思想にそのまま繋がっています。
2005年|「トリビアの泉」放送後、掲示板にアクセスが集中
2005年頃、まだSNSが始まる前、初期のいわゆる「掲示板」を公式HPで運営していましたが、TV番組「トリビアの泉」で掲示版のやり取りが紹介された際のアクセス集中は驚きましたね。今で言うと、バズと炎上が同時に来たような状態でした。
放送後、掲示板にアクセスと書き込みが一気に集中しました。当時は「炎上」という言葉はありませんでしたが、
という現象が同時に起きました。
ここで強く学んだのは、WEBは“見られる”だけでなく“参加される”媒体であり、放置すればリスクが増幅するということでした。東京タワーのような象徴的施設は、良くも悪くも人の感情が集まる。だから運用とルール、そして備えが必要になります。
2010年~2012年|SNSの開始、サイバー攻撃の現実化と東日本大震災
SNSの運用スタートは2010年のTwitterとFacebookからでした。
はい。掲示板時代の経験があったからこそ、「公式が語る場所」を持つ重要性を理解できました。そして2012年前後は、国際情勢を背景にサイバー攻撃が増え、WEBは“狙われる”ものだという現実が一段と鮮明になりました。
この頃から、サーバのセキュリティ対策が、HP運用上最優先事項になってきたように感じます。2011年の東日本大震災を経験し、バンブーハウスのワンストップ体制、スピード対応が確立してきたのもこの頃だったでしょうか。
この頃から、サーバのセキュリティ対策は「追加オプション」ではなく「前提条件」へと変わっていった実感があります。特に、サーバは知名度が上がるほど狙われるため、守りの設計は運用の最優先事項になりました。
そして2011年の東日本大震災を経て、WEBは「止まっても仕方ないもの」ではなく、止まってはいけない情報インフラになった——ここが最大の転換点でした。非常時にこそ、正しい情報を途切れさせないことが求められます。
一方で、制作・システム・サーバ・解析が分業のままだと、非常時に判断が遅れ、責任の所在も曖昧になりがちです。だからこそ、WEBコンテンツ制作・システム開発・サーバ構築・アクセス解析までを一社で完結するバンブーハウスのワンストップWEBソリューションの原型が、この時期に明確に確立しました。これは「便利さ」のためではなく、責任の所在を一本化し、スピード対応を実現するための選択でした。
2013年|東京オリンピック決定と世界的なサイバー脅威の増加
2013年に、2020年のオリンピック・パラリンピック東京開催が決定した際は、WEB運営側として、大きな緊張を感じました。開催都市の象徴的な施設は、世界中からサイバー攻撃の標的になりやすい傾向があります。当時、東京タワーとしてはどのような心境でしたか?
観光施設としては、世界中から東京への集客が期待できるビックイベントですから、喜びの気持ちが大きかった反面、東京のランドマークとして注目度が上がる事で、サイバー攻撃のターゲットになりやすいリスクも感じました。WEBサイトが改ざんされたり停止したりすれば、ブランドの失墜だけでなく、観光そのもののマイナスイメージにも繋がりかねない。「守り」はコストではなく、運営上の「必須責任」であると改めて感じましたね。
2013年~2024年|WEB環境が急速に変わった10年
この10年で、ユーザーの環境も激変しましたね。PCからスマートフォンへの移行、SNSの爆発的な普及。技術的な裏付けを行う私たちから見ても、求められる要件が「閲覧」から「体験」へ変わった感覚がありますが、現場での実感はいかがでしたか?
まったく別物になりましたね。以前は「PCで行き方を調べてから来る」ものでしたが、今は「現地に移動しながらスマホで見る」、あるいは「タワーの足元でイベント情報を探す」という使い方が当たり前になりました。インバウンドのお客様も増えてますし、チケットの購入チャネルも多様です。だからこそ、表示速度の遅さや、情報の陳腐化は、そのまま顧客満足度の低下に直結します。「快適さ」と「わかりやすさ」、そして安全である事こそが、今のWEBにおける“信頼”の指標だと感じています。
2014年|インスタグラムをWEBに組み込む
2014年の段階で、WEBサイト内にInstagramの投稿を連携表示させたのも早い決断でした。当時はまだSNSと公式サイトを切り分けて考える企業も多かったですが、なぜ統合を選ばれたのでしょうか。
お客様が撮影した美しい写真や、リアルタイムの賑わいは、私たちが用意したテキスト以上に魅力を雄弁に語ります。特にライトアップされた東京タワーの外観は、当時も多くの方のカメラに収められていました。公式サイトの信頼性と、SNSの熱量。この2つを分断せず、WEBをハブにして循環させるべきだと判断しました。
2024年|第二次「守りの進化」WEBサーバ/メールサーバの再設計
2024年には、WEBサーバとメールサーバの大規模な再設計(第二次強化)を行いました。特に事故が起きたわけではないタイミングでの実施でしたが、ご提案を受け入れていただいた決め手は何だったのでしょうか。
「無事だからそのままでいい」では、次の5年を守れないと感じたからです。近年のサイバー攻撃は、サイトを落とすだけでなく、メール経由で組織内部に潜り込むなど、手口が巧妙化しています。 バンブーハウスからの提案にあった「侵入を防ぐだけでなく、万が一侵入されても被害を最小限に抑え、即座に復旧できる設計」という考え方に共感しました。これはIT投資ではなく、事業継続のための保険だと捉えています。
2025年現在|運営サイト群と「現在地」という考え方
現在、オフィシャルサイト(10言語)、トップデッキツアーLP、ショッピング、ギャラリー、タワー大神宮と、計5つのサイト群を運用させていただいています。外部からは「完成されたWEB体制」に見えるかもしれませんが、私たちとしてはまだ道半ばという認識です。
そうですね、WEBに「完成」はないと考えています。これを私たちは「現在地」と呼んでいますが、お客様のニーズやリスクが変わる以上、システムもコンテンツも常に更新し続けなければなりません。 重要なのは、一度作って終わりではなく、「変化に合わせて更新し続けられる構造」を維持できていること。その点において、バンブーハウスとの25年の蓄積が活きていると感じます。
UI/UX/マルチデバイス|「現地で迷わない」を標準にする
AI活用含め、2026年以降、WEB運営において、バンブーハウスが重要課題と捉えているポイントを教えてください。
スマートフォンやタブレット、将来的なサイネージや新デバイスまで含めて「どの環境でも迷わず使えるUI/UX」を前提に、“情報を全部載せる”のではなく“その瞬間に必要な情報を現地利用の文脈で届ける”体験へ転換し、AIは人を置き換えるのではなく体験を拡張する存在としてWEBをハブにAIポッドやサイネージと連携し多言語案内や疑問解消を即時化しながら、東京タワーの「情報体験」をリアル体験と一体で設計していく、という方針です。
おわりに|完成しないWEBという選択
東京タワーのWEBは、完成を目指しません。正確で、安全で、信頼でき、その時代にふさわしい形であり続ける。それが2000年から続いてきた理由であり、2026年以降も更新され続ける現在地としての答えです。
本日はありがとうございました。
今後も環境に適応する柔軟性とお客様が求める快適さを、盤石な土台の元で築いていきましょう。
ありがとうございました。
対談日:2025.12.01 / 監修:竹内静江 / 公開日:2025.12.23
本日はよろしくお願いします。改めて振り返ると、東京タワーとバンブーハウスのお付き合いは2000年からですからもう四半世紀になりますね。